母の一周忌を迎えました

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私事ですが、今月で母の一周忌を迎えました。
母が亡くなってから今日までの1年間、公私ともにいろいろなことがありました。
直後は母がいない日常がとても空虚なものに感じてしまい、喪失感に苛まれました。
これまで祖父母や親戚の死を経験したこともあり、知人の家族が亡くなった話も幾度となく耳にしてきましたが、最も近い親の死に自分が直面するときが来ることを、頭では理解していても現実に訪れるとは理解できていませんでした。

いずれは訪れることなのに、考えないように日々を過ごしていました。

ですが、実際に母が亡くなり、こんなにも辛いものだということを痛感させられました。

私は長いこと親元で暮らしてきました。
毎日家には母がいて、仕事から帰れば食事が用意され、洗濯をしてくれ、時には仕事の愚痴にも付き合ってくれました。
逆に私が母の仕事の愚痴を聞くこともあり、お互いに良き相談相手でもありました。
ですが仕事の毎日に追われていると、夕食は用意してくれていても母は先に寝ていて、連日会話を交わさないときも多くありました。
それでも母が家にいることは確かで、毎日同じ屋根の下に住んでいて存在は感じられますから寂しい感情もありませんでした。
仕事が休みの時には父も一緒に、買い物に付き合ったり、家族で外食をすることもありました。
毎年ではありませんでしたが、父や私が運転する車で旅行に行くこともありました。

そんな日々が当たり前でした。
ですから当たり前のように同じ日常が続くと思っていました。

ですが別れは唐突でした。
昨年母が倒れ、車で病院へ連れて行くと、医師から末期の十二指腸癌で、予後1か月であることを伝えられました。
それからその通り、ひと月で母はこの世を去りました。
亡くなるまでの1か月間は母との貴重な時間であり、そして苦しい時間でもありました。
もう治る見込みがないとわかっている1か月間は母にとってはそれ以上ですが、私たち家族にとっても心の整理がつかず、まさに絶望の日々でした。

母は宣告を受けたその日から即入院となり、その後緩和病院に転院しました。
コロナ禍でもあったため、面会は予約制で10分間のみ。
面会時はビニール製の雨具のような服と帽子、手袋を身に着けて完全防備の上での対面でした。
そんな面会しかできなかったため、むしろ直接会うより病院と自宅でLINEを通してビデオ通話やメッセージのやりとりをした方がまともな会話ができました。
皮肉にもこの時はじめて母が普段からLINEを使っていて操作に慣れてくれていたことに感謝しました。そうでなければ会話できる時間はもっと少なかったでしょうから。

母と話した内容は至って現実的なものでした。
入院して直後、まっさきに母が私に言ってきたのは、とにもかくにもまずお金や各書類のことでした。
母の指示に従い、母がお金を預けていた銀行や郵便局の口座の確認からはじまり、それを一括する手続き。
そのためにどの印鑑がどの銀行の届け印かをスマホで写真を撮りLINEで母に送って確認してもらう、
さらに家の重要な書類などもひとつずつ確認してもらいました。
自分の余命が迫っている中で、残される私たち家族の苦労を少しでも減らそうと頭をフル回転させながら伝えてくれた母の強い精神力と心遣いに涙が溢れました。

面会時にも書類を実際に見てもらってどれが何の書類かを説明してもらったりもしました。
貴重な母との時間をそうした雑務に使ってしまいました。
それも、これまで家のことを母にほとんど任せてしまっていた結果です。

後悔先に立たず。
母の病気に気づけなかったことも、母が元気なうちにしっかりと後々のことをしっかり家族で話し合わなかったことも
全て取り返しのつかない後悔ばかりでした。

それ以外の時間でも母とどんな会話をすればいいか、何を聞いておけばいいかその時はなかなか思いつきませんでした。
今になってこれも聞いておけばよかった、もっと感謝の言葉を伝えればよかった。
母の辛い気持ちにもっと寄り添った話をしてあげればよかったと、後悔が募りました。

そして母が亡くなった日、私は仕事をしていました。
母が危篤状態との連絡を受けて仕事を早退し、急ぎ病院へ向かいました。
その時が来てしまったことに頭の中はまっしろで、車の中で私は泣きじゃくりました。

私が病院に着いた時にはすでに母は亡くなっていました。

その後、通夜、告別式と続く中で、母の顔を目に焼き付けました。
もう目を開けることのない母の顔を見ても、信じられない思いでいっぱいでした。
これが現実ではなく夢であればいいのに、もしくは母の病気がわかる前まで時間を戻せたらいいのにと何度も思いました。

ですがそんな思いも虚しく、時間は過ぎ、気づけば母はお骨となって自宅に帰ってきました。
そして四十九日の法要で納骨を済ませるまでの期間も今にして思えばあっという間でした。

母が亡くなるまでの間、辛さもありましたが、正直いつその時がくるのだろうかと怯える日々が続いていたので、実際に訪れた時にはどこかホッとしまったのを覚えています。
そんな感情を持ってしまったことに嫌悪感を抱いたりもしました。
その後も様々な感情が渦巻き、しばらくは仕事をしていも、休みの日も、母のことを考え、母がいない辛さに悲しみ、過去の後悔をし続ける日々でした。
それは今も続いていますが、母がいない現実を受け入れるしかない、まだ健在の父や、近しい大切な人のためにも、そして自分のためにもいつまでもくよくよしていてはダメだと自分で自分に言い聞かせたりもしています。

今回こうしてブログの記事として投稿している中でも元気だった母の姿が思い出されて胸が締め付けられますが、
1周忌を迎えるにあたり、心の整理にもなればと文章に残しておくことにしました。
(読み返してみると乱文で、まったく整理がされていませんが・・・)

母にもう一度会いたい、声を聞きたい、話をしたいという思いはこの先もきっと消えることなく、むしろ強まる時もあるかとも思いますが、
それでもこれからの日々が今より前向きになれるよう、そして母に喜んでもらえるような自分になれるよう、このブログだけでなくいろいろな挑戦を続けていきたいと思います。

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この記事を書いた人

教育・学習支援業勤務。
「誰かの役に立てる記事作成」を目指してブログ運営に奮闘中

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